「彼は、君を想ってはいない」
「私は瑠駆真の気持ちには応えられない」
「美鶴」
焦慮を滲ませるかのような声。
「今回の学校での騒動、黒幕は霞流なんだろう? 霞流自身が噂を流したんだろう?」
本人がそう言ったのだ。間違いないだろう。美鶴は、認めたくはないのだが。
「彼がどういう人物なのかは、朧げながらも輪郭くらいはわかってきた。涼木さんのお兄さんの件からも、少しは状況が僕らにも見えてきている」
聡や瑠駆真には、改めて二人やツバサの話をした覚えはない。だが、聞かれる質問に答えるという形で、事情を知らせてしまってはいる。なにやら吹っ切れた感じのツバサは、巻き込んでしまったのに隠すのも悪いと思っているのだろう。同じ理系クラスの聡には、ほとんど包み隠さずなにもかもを話しているのではないかと思われる。
「霞流慎二の素性も、わかってきた」
「霞流さんは」
震えそうになる声を必死に整える。
「悪い人じゃない」
「だが、君を想ってくれてはいない」
「そんなのが目的なんじゃないっ」
両手の拳を振り上げる。
「私は、霞流さんに想われたいんじゃない」
「じゃあ、何だ?」
「私はただ」
ただ、昔の優しい霞流さんに戻ってもらいたいだけ。銀梅花の香りを教えてくれた霞流さんに。
「できるという保証は?」
「そんなものは無い。でも、私は霞流さんが好きなんだっ」
ぶつけるように叫ぶ。
「私は霞流さんが好きなの。だから、ラテフィルだかなんだか知らないけど、ワケのわからないところにアンタと一緒に行くだなんて、そんな事はできないっ!」
「僕には君が必要だ」
「アンタの我侭には付き合えない」
「我侭じゃない」
断言する。
「本気だ」
一瞬で間合いを詰める。驚いて振り上げた両手首を握り、そのまま窓に押し付けた。カーテンが揺れた。
「父親から、ラテフィルへ来いと言われている。君が来るのなら行くと伝えた。行かないのなら、僕も行かない。だが、今の僕は経済的にも人間的にも自立していない。父親に弱みを握られているようなものだ。強くは逆らえない。ラテフィルへ来ないのなら、このマンションも引き払うとまで言われた。ここまでくると脅した」
「引き払ってくれても構わないわよ」
「冷たい事を言うんだな」
身を寄せる。美鶴に逃げ場は無い。顔だけは必死に背ける。
何もしないと言ったはずなのに。
「美鶴、僕には君しかいない。君がいなければ、今でも僕は、世の中に背を向けていた。今ここで、君と離れたくはない」
「じゃ、じゃあ、ラテフィルに行って、自立したら戻ってくればいいじゃない」
「その時君は、どうしている?」
「え?」
「僕のいない間に、まさか霞流やら聡やらに取られていたら、なんて不安を抱えながら一人でラテフィルへ行けと?」
「そ、それは」
「第一、戻ってきた時、再び君に会えるという保障もない」
「それは」
「一年前、同じ学校の廊下で出会えたのは奇跡だった。もうこんな事が二度と起こるとは思えない」
「れ、連絡先くらいは伝えて」
「そんなものはアテにはならない。僕のいない間に、姿を消そうと思えばできる」
「どうして私がそんなコトを」
「君は、高校に入学する時、聡の前から姿を消した。前科がある」
反論できない。
「君は油断がならない。それが魅力でもあるんだけれど、こちらとしては身が持たない」
「変な事言わないで。だいたい、メリエムさんの話では、夏休みの間だけだって聞いたよ。夏休みが終わればまた」
「そんなもの信用できないな。あの女の言う事なんて」
吐き捨てる。
「あれこれ理由を付けられて帰れなくなるかもしれない。ラテフィルへ行って、そのまま勝手に中退させられてしまうかも」
「何を物騒な」
「そういうヤツらさ。君は知らないだろうけど」
知るも何も、勝手に中退だなんて。
そこでふと視線を落とす。
母も、勝手に高校を辞めさせられていた。学校を休んでいる間に、父親が、美鶴からみれば祖父にあたる人物が退学の手続きをしてしまっていたのだ。
子供とは、私たちは所詮は保護者という名の大人の勝手に、従わなくてはならないのか?
ぼんやりと気を逸らせている間に、瑠駆真の瞳が切なく揺れた。
「美鶴」
顔を寄せる。
「君を離したくはない」
吐息が切ない。
「僕は、君が欲しいんだ」
唇が頬に触れた。美鶴はギュっと瞳を閉じる。
やめろ。
その言葉さえ声にはならない。
やっぱり部屋になんて入れるんじゃなかった。
後悔しながら、圧し掛かる瑠駆真の重みに耐えるよう、唇を噛み締めた。
その重みが、瑠駆真の温かみがスッと消えた。握られていた手首の感触も消えた。
え?
呆気に取られながら恐る恐る目を開く。瑠駆真は、数歩離れていた。
「言っただろう。今日は何もしないって」
じゅ、十分してると思うんですけど。
両手で両の肩を抱きながら背中をピッタリと窓にくっつける。陽が落ちればまだ少し寒いくらいなのに、なぜだか身体は火照っている。冷や汗をかいた時のような、寒いのにジットリとした、なんとも不快な感覚。
まるで怯えたウサギのように身を丸める美鶴と向かい合い、瑠駆真は少し乱れた制服の上着を整えた。
「今すぐに返事をくれとは言わない」
「私は行かない。ラテフィルになんて行かないよ」
「その言葉は聞かなかった事にするよ。だから美鶴、時間をかけてよく考えるんだ」
「いくら考えたって同じだ」
「このまま唐渓に通い続ける事が、本当に意味のある行動なのか?」
「うっ」
「ラテフィル以前に、まずはそちらを考えろ。これは君自身の問題でもある。特に君は、進路の問題もある」
「進路」
「君の成績は学年一だ。あの学校なら、君に国立大や有名私立大学なんかを受験させようとする。そうだろう?」
その通り。
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